東京と横浜、話すスピードから見えた「効率」と「効果」
- M K
- 5月30日
- 読了時間: 3分
東京都と神奈川県(特に横浜)を日常的に行き来する生活が続いている。移動の距離自体は大したことではないが、両者を行き来する中で、ある違いがじわじわと気になってきた。
それは――人々の「話すスピード」の違いだ。
東京では、会話のテンポが速い。言葉が次々と飛び交い、相槌さえもスピーディーだ。横浜では、会話に間がある。声のトーンもやや柔らかく、話の終わりに余白があるように感じる。
初めは気のせいかと思った。けれど、いろいろな人と接するうちに、これは単なる個人差ではなく、文化的なリズムの違いなのではないかと感じるようになった。
「効率」と「効果」という対比
この違いをどう捉えるか――私なりに考えたとき、思い浮かんだのが「効率」と「効果」という言葉だった。
東京の速い会話は、効率重視の表れかもしれない。短く、早く、ポイントを押さえて伝える。時間を奪わないことが、ある種の礼儀として機能しているのかもしれない。
一方、横浜のゆったりとした話し方には、効果重視の空気がある。時間をかけて、丁寧に、相手の反応を見ながら話すことで、内容が深く伝わりやすくなる。話し手と聞き手の間に、理解の“空気”が溜まっていく感覚だ。
どちらが優れているという話ではない。ただ、目的や場面に応じて、どちらを選ぶべきかを考える視点は、案外見落とされがちではないだろうか。
話すスピードが与える印象の違い
話し方のスピードは、相手に与える印象にも影響を与える。
早口だと、知的で頭の回転が速いように見えることもある。だが、場合によっては焦っていたり、落ち着きがない印象を与えるリスクもある。
ゆっくり話すと、落ち着いていて丁寧な印象になる。だが、その分だけ退屈に感じさせてしまう可能性もある。
だからこそ、バランスが大切だと私は思う。
話すスピードは、コントロールされているか?
ふと疑問に思う。話し手のうち、どれほどの人が自分の話すスピードを意識的にコントロールしているだろうか?
私はどちらかといえば、ゆっくり話すことを好む。理由は明確で、正確さや思考の深度を何より重視するからだ。言葉にする前に一拍置くことで、自分の中で意味を確かめ、聞き手にも丁寧に届いてほしいと願っている。
ただ、時間の制約があるときや、場の高揚があるときは話すスピードも自然と上がる。そのとき、「あ、今ちょっと早口になってるな」と気づくことがある。つまり、スピードを「無意識に任せない」ことが、伝えるという行為を深めてくれるのではないかと思っている。
結びに代えて
東京と横浜。一時間もかからずに移動できるこの二つの都市の間には、意外にも明確な“リズムの違い”がある。それは言い換えれば、言葉の運び方に対する価値観の違いなのかもしれない。
話すスピードは、自分の思考や感性をどのように相手に届けるか――という静かな戦略でもある。その場に合わせて速さを変えられる柔軟さこそが、実は最も伝える力になるのかもしれない。
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